第35回日本診療放射線技師学術大会

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彩の国から未来へ

NN(ネットワークナウ)連載企画 埼玉への道 7
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NNの連載記事をHP用に編集して掲載しています
小江戸「川越」、狭山茶「狭山・入間・所沢」
 川越市は、全国各地で“小江戸”と呼ばれている町の中でも代表的な街の一つです。
メイン通りにある蔵造りの町並みは、昔ながらのノスタルジックな雰囲気を残し、年間700万人の観光客が訪れます。この町町みが造られたきっかけは、寛永15年(1638年)に起きた大火災と、その後の復興計画にあります。この火災で川越城は全焼、城下町も3分の1が消失したため、再建は大規模なものとなり、現在の都市計画と同様、土地の区画整備から行われ通りはきれいに整備されました。
その後、城と城下町の再建が終わると、復興を指揮した川越藩主は木材の搬入に使用した川(新河岸川)に目を付け、江戸への流通水路として本格的に整備します。そしてもともとあった陸路も同じ時期に発達しました。川越は、この水・陸2つのルートによって江戸との交流が盛んになり、同じ文化・風習を共有したことから“小江戸”と呼ばれる町となりました。ただし、代名詞である“蔵造り”の建物は後のことで、明治26年の火災で町の中心部が消失した際、焼け残った蔵をヒントとした耐火建築の建築群が造られ、これが今日の“蔵造りの町並み”になります。
 そんな川越の“食”といえば「さつまいも・うなぎ」が名物です。メイン通りには、趣向を凝らした“さつまいもスイーツ”のお店が多く見られます。そして“うなぎ”のお店は、創業200年の歴史を誇る名店をはじめ、町中に数多くあります。
 JR川越駅へは、大会会場の最寄り駅であるJR大宮駅から電車で20分ほどで行けます。
 話は変わり、川越から南側の地域には、
狭山市・入間市・所沢市」があり、お茶の産地として知られています。
 狭山茶という“お茶”をご存じでしょうか? 狭山茶の歴史は鎌倉時代に記述があるほど古く、静岡茶・宇治茶と並んで日本三大茶と自称しています。狭山茶摘み歌には“色は静岡、香り宇治よ、味は狭山でとどめさす”という文句があり、関東地域の方なら知っているかもしれません。生産の中心は入間市で、入間市茶業公園の高台からは広大な茶畑が眺めます。また所沢市に拠点を置く、プロ野球チーム「埼玉西武ライオンズ」のホーム球場では、ペットボトルの狭山茶が販売されています。野球観戦にビールもいいですが、狭山茶で観戦するのも悪くありません。
 最近は、海外でも日本茶の人気が高まり、狭山茶も海外へ出荷されています。そして国内では、抹茶ブームの影響から、狭山茶を使ったスイーツのお店が県内で増えています。ちなみにこの地域は狭山茶の直売店がとても多く、通りを歩けば必ず直売店を見掛けます。
 最後に、左側にある飛行機の写真は、所沢市の航空記念公園内に展示されているものです。所沢は国内初の飛行場として開設され、日本人が初めて大空に羽ばたいた記念すべき町です。公園内には航空発祥記念館もあります。ご興味があれば、併せてお立ち寄りいただけたら幸いです。