第35回日本診療放射線技師学術大会

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彩の国から未来へ

NN(ネットワークナウ)連載企画 埼玉への道 8
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第6回 第7回 第8回 第9回 最終回
NNの連載記事をHP用に編集して掲載しています
浦和vs大宮? + 鋳物の町?「川口」、ネギ・れんがの町?「深谷」
今回の「埼玉への道」は拡大版、浦和区・川口市・深谷市の紹介です。

 浦和は埼玉の代表的な町の一つです。埼玉県の県庁はここ浦和区にあり、まさに埼玉の中枢・中心です。
またネームバリューとしても人気があり、この地域だけで“浦和”と付く駅名は8つもあります。江戸時代には中山道(なかせんどう)の宿場町があり、諸説ありますが、浦和は“うなぎのかば焼き発祥の地”ともいわれています。JR浦和駅を降りれば“うなぎ”をモチーフとした浦和のマスコットキャラクター「浦和うなこちゃん」の石像が迎えてくれます。

 そして現在、浦和といえばサッカーを思い浮かべるのではないでしょうか。Jリーグチーム浦和レッドダイヤモンズ(通称、浦和レッズ)の本拠地であるこの町は、文字通り町全体でチームを応援しており、熱狂的なサポーターが多いことでも知られています。ホームゲームの日には、サッカー場はもちろん、駅周辺や居酒屋など、浦和レッズのユニホームを着た人々で町は赤色に染まります。

 そんな埼玉の中心「浦和」ですが、鉄道で急成長した大宮によって、県内の人間でも埼玉の中心は浦和ではなく、大宮というイメージがあります。半分ネタにもなっていますが、浦和と大宮の住民が酒の席で一緒になると、どちらが埼玉一の町なのか不毛な言い争いが繰り広げられます。
全国でも自分たちの町を愛するが故に、隣町の方と言い争う事例はあるかと思います。そしてそのほとんどはオチのないネタとして終わるのではないでしょうか。しかし、その年にもよりますが、浦和と大宮は決着を付けるかのような戦いが行われます。そう、浦和レッズvs大宮アルディージャの“さいたまダービー”です。今年、2019年シーズンはアルディージャがJ2(2部リーグ)のため、リーグでのダービー戦は行われませんが、さいたま市内の隣接する区であり、サッカーに対する熱い思いがある町同志です。当然、ダービー戦が行われる会場は、異様なほどの盛り上がりを見せます。ちなみに通算成績は、リーグ戦(浦和12勝、大宮9勝、引き分け7)、カップ戦(浦和9勝、大宮0勝)です(2019年2月現在)。
 正直なところ、浦和と大宮以外の埼玉県民にとっては、何かと争っている町であることは知っていますが「どっちでもいい」こととして受けとめています。ただ、ダービー戦のサポーターを見ると、どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか分からないときもあります。いずれにせよ、平和な町だからこそ起きる言い争い(ネタ)かもしれません。
 浦和も大宮も、駅前には立派な繁華街があります。うなぎやうどんを食べて、活気のある“さいたま市内”を楽しんでみてはいかがでしょうか?
 JR浦和駅はJR大宮駅から10分以内で着きます。

 川口市は、大会会場さいたま市の隣町で“鋳物(いもの)の町”として知られています。
川口が“鋳物の町”といわれる背景は、江戸時代、徳川家康が鍋などの生産のため、全国各地から鋳物師を江戸周辺に呼び集めたことがきっかけです。
その際、職人が集まった町の一つが川口でした。川口に集まった理由は、近くを流れる荒川の川砂や粘土が鋳型の材料に適していたこと、その荒川が江戸まで製品を届けるのに便利だったからといわれています。  
 明治以降は近代技術をいち早く取り入れ、高品質・大量生産が可能になり、加えて大砲などの受注・生産による戦争特需もあり、町は繁栄しました。 ちなみに、旧国立競技場の聖火台(東京オリンピック1964)は川口の職人による作品です。市内の青木町公園には、この聖火台の「1号機」があります。   
 1号機とは、聖火台として作ったものの失敗した最初の作品です。これが後に修繕され、市に寄贈されました。 鋳物により繁栄した川口市ですが、近年は時代の流れから多くの工場が閉鎖しています。しかし、昔から江戸への流通が便利であった土地柄でしょう、その流通路を生かし、現在では工場跡を有効利用したリサイクルショップが70店ほどあります。
 そのため“リサイクルショップの町”としての一面を持つ、ただでは転ばない、にぎやかでたくましい町です。ご興味があればぜひ足をお運びください。JR川口駅はJR大宮駅から20分ほどで着きます。

 深谷市は大会会場から離れていますが、埼玉県民であれば「深谷=ねぎ」というイメージがあります。
 埼玉県のネギ生産量は国内トップクラスであり、特に、深谷地域で採れるネギは「深谷ねぎ」といわれ、全国的にも有名なねぎのブランドとして知られています。そんな深谷ですが、実は“れんが の町”でもあります。 明治20年、日本初の機械方式によるれんが工場が深谷に作られ、近代日本のれんが造りの建物に大きく関わりました。有名なところでいえば、東京大学や改築前の東京駅のれんがは深谷の工場で作られたものです。工場自体は平成18年に120年の歴史に幕を下ろしましたが、一部は日本の近代化の遺産として、国の重要文化財に指定・保存されています。現在の深谷駅は東京駅に似たデザインですが、その背景には、深谷がれんがの町であったことが由来しています。  
  
 そして埼玉の偉人として、深谷出身の渋沢栄一氏がいます。深谷市内を歩くと銅像・記念館・生家をはじめ、渋沢氏に関わる案内看板を必ず見掛けます。渋沢氏は、幕末、幕臣としてけんおう使節
団に同行、ヨーロッパを歴訪して近代の経済・経営に開眼します。帰国後は株式会社制度を実践、実業家として活躍しようとしますが、当時の政治家である大熊重信に説得され、4年間、大蔵省(財務省)の官僚となり、国立銀行条例などに関わりました。退官後は、実業家として東京証券取引所、第一国立銀行(現:みずほ銀行)、キリンビール、帝国ホテルをはじめ、500以上もの企業・学校・医療機関の設立に携わります。渋沢氏は、これらの功績から「日本資本主義の父」といわれています。
 

 最後に、アイスの「ガリガリ君」はご存じでしょうか? ガリガリ君を生産している赤城乳業本社は深谷市にあります。工場見学できる施設は隣の本庄市にありますが、予約・抽選が必要なほど人気のスポットです。大会会期中、工場見学に行くのは大変かもしれませんが、会場近くのコンビニにはイガグリ頭のイラストが描かれたアイスがあると思います。埼玉出身の商品だと知っていただければ幸いです。
 さて、「埼玉への道」も残り2回となりました。次回は再び大宮に戻り、会場周辺をご案内します。