第35回日本診療放射線技師学術大会

国民と共にチーム医療を推進しよう

彩の国から未来へ

NN(ネットワークナウ)連載企画 埼玉への道 5
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NNの連載記事をHP用に編集して掲載しています
古墳→のぼうの城→陸王=行田市
 行田市は、埼玉を語る上では外せない重要な街です。今でこそ埼玉の中心は浦和・大宮ですが、かつて行田地域は古代武蔵野国の中心でした。
 一般的に、関東地方が歴史上知られるのは鎌倉幕府ごろからです。それまで歴史的な出来事といえば西日本が中心です。都である奈良・京都から見れば、関東は片田舎にすぎず、何があったか知らなくても仕方ありません。
  ざっくりとですが、鎌倉時代以前から神奈川北部・東京・埼玉の地域は「武蔵国」といわれ、国の中心は今の東京都府中市です。そしておおよそ国の領域が成立したのは、さらに昔の6世紀になります。このころ(6世紀)、武蔵地域で地位争い“武蔵国造りの乱”があり、その際、北武蔵地域の勢力(埼玉)が勝利します。
そのため古代武蔵野国の中心は埼玉となり、行田市周辺には当時の勢力を誇るかのように、5〜6世紀にかけて巨大古墳群が築かれています。ちなみに、国の中心が府中に移ったのは7世紀の“大化の改新”以降になります。  
 時は過ぎ、戦国時代の行田には、成田氏が領有した忍(おし)城がありました。豊臣秀吉が天下統一のため小田原城を攻略していた同じとき、豊臣の家臣であった石田光成は、忍城攻略を命ぜられていました。石田氏は財力にモノをいわせ、忍城の周りに堤防を造り、ド派手な水攻めを行います。ところが、城はこの水攻めに耐え、さらには堤防も決壊、石田氏を「浮き城か」と驚かせました。この出来事は『のぼうの城』として、小説・映画化もされており、ご存じの方もいるかと思います。なお、忍城は明治維新により取り壊され、その後、1988年(昭和63年)に城址公園として整備・再建されています。


   戦国の世が終わり、江戸時代に入ると都から足袋製法が伝えられ、行田は近代まで足袋の生産が盛んでした。城址公園内にある行田市郷土博物館には、足袋にまつわる展示物がある他、時代を彩った大相撲力士の足袋作成に使用した足形などもあります。そして2017年に放送された、足袋製造の会社がランニングシューズを作るTVドラマ『陸王』の舞台となったことで、ロケ場所を見に行田市を訪れる観光客が増えました。さらに行田といえばB級グルメの「ゼリーフライ」もあります(第3回『埼玉への道』〔2018年12月号〕をご覧ください)。歴史・映画・ドラマ・B級グルメと、埼玉を知るには重要かつ魅力的な街です。一度訪れてみてはいかがでしょうか。
 ところで、埼玉の銘菓に「十万石まんじゅう」があります。この十万石というのは、忍藩の石高の数から来ています。テレビ埼玉から流れるCMのフレーズは埼玉県民であれば誰もが知っているはずです。埼玉県民に「風が語り掛けます」という言葉を振ると、きっと決まったセリフが返ってくることでしょう。